『Zの悲劇』を読んで。
- 2015/02/01
- 07:59
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悪名高い上院議員が、選挙を控え、自宅で刺殺されていた。家の者をわざわざ外出させているのも奇妙なら、犯行現場にいわくありげな小箱が置かれていたのも奇妙だった。出てきた手紙から、いかがわしい婦人との交際が明らかになるが、事件の様相を一変させたのは、脅迫状だった。アーロン・ドウなる囚人からのもので、復讐をにおわせる文面だった。しかもこの男は最近出所したばかりだったのだ……! 現代的な女探偵の先駆ペイシェンス・サムを登場させ、老探偵ドルリイ・レーンとの見事なコンビぶりを描く型破りの本格探偵小説。
エラリイ・クイーンの〈悲劇四部作〉のうちの第3作目、『Zの悲劇』。第1作目の『Xの悲劇』を読んだのがかなり前で、第2作目の『Yの悲劇』を読んだのはもっと前。ストーリーの肝心な部分を覚えているとはいえ、どれほどに楽しめた作品であるか、またどのような雰囲気を漂わせていた作品であるかは、自らの記憶から色あせてしまっている。
それでも、本作を読んで少なからず「おや?」と思える部分はあった。一人称の語りによって紡がれる文章(しかも女性!)、知的遊戯というよりは、むしろサスペンス色が感じられる展開。『Xの悲劇』と『Yの悲劇』は、地に足ついた淡々とした語りによって紡がれた知的遊戯という印象が強かっただけに、この点がまず意外だった。
語り手はペイシェンス・サム。警視サムの娘にして今回は女探偵として探偵役のドルリイ・レーンの相棒役として活躍している。女探偵の一人称による探偵小説としてはどうやら先駆らしい。
「女探偵」と聞いて僕が思い浮かべるのはサラ・パレツキーのV・I・ウォーショースキーだったり桐野夏生さんの村野ミロ、加えて芦原すなおさんの笹野里子だったりする。いずれも美貌の持ち主であると同時に、暗い過去を持ち、そして知恵と行動力に長けている。ただ、女探偵という存在は、ある種〈お色気担当〉として探偵小説の世界に発生したようで、たわわなバストと引き締まったウエストを武器に必要な情報を引き出す(当たり前だけど情報を引き出す相手は男)、というのが従来の姿だったらしい。そんな女探偵が活躍する小説をまだ読んだことがないのだが、知恵以外の部分で勝負する女性というのは、前時代としては当然の発想だったのかもしれない。
『Zの悲劇』を読んでも感じられることだが、女性という存在は男性のサポートに過ぎないという印象が否めない。警察・検察の人間で女性が登場することはなく、会社経営者や実業家、そして政治家というポストに配される人間も男ばかり。時代としてまだまだ男が優れた存在である、という考え方がまかり通っていたと理解して差し支えないだろう。特に、殺人事件の捜査をするペイシェンスに対する周りの人間の反応を見ればそのことは一目瞭然。ペイシェンスが殺人事件の捜査において何か言動を示す度に、「女性がそんなことするもんじゃない」、「レディがそんなはしたないこと」などなど、言葉遣いや所作に至るまで、「女性はこうあるべき」という暗黙の了解が当時の社会にあって、また女性自身もそうあるのが当然の嗜みであると理解している雰囲気が感じられる。
そういった雰囲気の中でもレディになりきれない女性は当然居るのだが、そういった女性は基本的に娼婦として登場する。本作でペイシェンスの他に登場する主たる女性は売春組織の元締めだ。しかも、身体はいかつく、化粧っ気はなし、一目では男性なのか女性なのか判らないアマゾネスのよう、といった描写のされかたがなされている。
だからこそ、ペイシェンスがドルリイ・レーン顔負けの観察力と思考力を披露すると、周りの人間は例外なく驚き、「女性にしては素晴らしい才能だ!」という称賛の仕方をする。それは父親であるサム元警視にしても同様であるのだから、男女平等が常である現在から見ると、興味深くもあり心苦しくもある。
上記のような女性の描き方が差別でも何でもない時代に、どうしてクイーンはペイシェンスを語り手として設定したのか。
このあたりの事情に関しては、解説において新保博久さんが興味深い文章を書かれている。どうやらクイーンは、女探偵を前面に押し出していこう!という意図があったというわけでもないらしい。ただ、ペイシェンスが語り手となった要因に関する新保さんの推測はとても興味深い。僕自身もその可能性はあるかもと思ってしまった(むしろ、クイーンの事に関しては詳しいことが判っていないということに驚き)。
内容としては、手がかりを吟味した上で容疑者を絞っていく消去法推理は健在。また、最後の犯人指摘のシーンは〈平成のエラリー・クイーン〉の異名を持つ青崎有吾さんの『体育館の殺人』の犯人指摘のシーンに通ずるものがある。ドルリイ・レーンの思惑と裏染天馬の思惑は、ほとんど同様のものではなかったか。
どうやら悲劇四部作の中でも『Zの悲劇』は評価が低いらしいのですが、それはクイーンの作品というハードルが存在しているのが大きい気がする。ドルリイ・レーンの推理にはゾクゾクさせられるし、やはり最後にはこれしかないという犯人に行きつく。そのプロセスが本当に素晴らしい。
こうなると、悲劇四部作がどのような形で終幕を迎えるのか、気になって仕方がないですなぁ。
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